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東京高等裁判所 昭和29年(う)144号 判決

控訴人 被告人 高沢五兵衛

弁護人 久保田由五郎

検察官 小西太郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は末尾に添附した弁護人久保田由五郎名義の控訴趣意書記載のとおりで、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

論旨第一点について。

児童に淫行をさせるという児童福祉法第三十四条第一項第六号違反の行為は、その淫行の回数が多数である場合にも、個々の淫行ごとに同条違反の罪が成立するのではなく、その全部を包括してたゞ一個の犯罪が成立するものと解するのが相当である。そこで多数回に亘り児童に淫行させているとき、同条違反の訴因を明示するに当つては、必ずしも個々の淫行の日時、場所等をすべて掲げなければならないものではなく、包括的一罪を構成する淫行の中の一つだけを例示的に挙げることによつても目的を達し得るものといわなければならない。本件起訴状記載の公訴事実によれば「被告人は松山徳蔵と共謀の上昭和二十七年十二月六日頃より昭和二十八年二月中旬頃迄の間前後数回に亘り熱海市観光閣旅館等に於て児童であるA(昭和十一年一月生)をして鈴木松雄外数名と対価を得て情交せしめ以て児童に淫行させる行為を為したもの」というのであり、観光閣旅館等とか鈴木松雄外数名という字句を用いてはあるが、要するに包括一罪たる児童福祉法第三十四条第一項第六号に違反する行為を起訴したものである以上、この一罪を構成する各個の行為について夫々の目的場所を具体的に記載してなくても、訴因は暗示されているものというべく、原判決が右公訴事実と同一の事実を判示したからといつて、判示事実が不明確で審理不尽であるとはいえない。

ところで論旨は原判決の事実誤認を主張する。よつて按ずるに原判決引用の証拠によれば、Aは昭和十一年一月二十五日生で昭和二十七年十二月から翌二十八年二月中旬の本件当時満十八年に満たぬ児童であるが正式の届出はなかつたけれど芸妓として旅館等に出入りし客の酒席に出ていたところ、昭和二十七年十二月六日頃観光閣旅館で鈴木松雄と情交したのを初めとして昭和二十八年一月から二月中旬にかけて両三度堀内屋旅館、花村旅館等で塩谷達吉と、又同年二月中旬頃観光閣旅館に於て山崎重久と夫々情交したこと、Aがこのように芸妓として客の酒席に出るに至つたもとはと云えば、被告人は松本市外浅間温泉に於て芸妓下宿業を営む株式会社大和の取締役であり、同会社の社長は被告人の妻高沢はまであるところ、昭和二十七年十月頃知人大島新亮を介してBから、その養女Aを芸妓見習として出すから十万円借して貰いたいとの申入があつて被告人は妻はまと共にB方を訪ね直接Aにも会い同人の芸妓とならうとする決意を確め、更に同人を被告人方に呼んで十万円は同人が芸妓となつて働き返済する旨の書面まで作成させる等Aが将来芸妓となることに強い希望を持ち、同人が芸妓として働きさえすれば十万円をBに貸しても返済は容易であることを十分見極めた末Aを借用主とし、Bをその保証人として夫々署名させた借用証書を入れさせて十万円をBに貸与したことに初まつており、その後Aを熱海市内にある大和支店に連れ行き、踊三味線など芸妓としての素地を習得させている中、Aから早く芸妓として働き度いとの申出もあつたので同人が満十八歳に満たぬ児童であるため正式に芸妓として届けることができないことを十分認識しながら芸名をチヨン子と名づけ、同年十二月四日被告人自身右A及び大和支店芸妓八郎こと扇野喜美子を同伴して熱海市内の旅館や芸妓置屋組合に芸妓見習として挨拶をすませ、爾来正式に芸妓としての届をしないで事実上芸妓として働かせていたこと、その結果Aは芸妓置屋組合からも芸妓としての取扱を受け旅館の宴席に臨んでいたのはもちろんの事で同月六日には前記のように観光閣旅館の泊り客鈴木松雄との情交関係があり客から支払われた金もAから大和支店会計役たる前記八郎こと扇野喜美子に渡されていたものであるが、同月十三日頃松本市警察署がAの養父Bを児童福祉法違反の嫌疑で逮捕するや、被告人等の指示によりAは急いで松本市に帰り、一時芸妓として客席に出るのをさし控えていたけれど、Bが釈放されて後は昭和二十八年一月二日から再び熱海市に赴き前と同様客席に出るし、二月中旬頃までの間前記のように塩谷達吉、山崎重久等と情交を結ぶに至つたが、その都度得た金はいずれも八郎に渡していたこと、被告人は株式会社大和の取締役として、社長たる妻はまと交替で熱海支店に赴き、同所会計の前記八郎より支店の収支状況について報告を受けるし帳簿類をも検討するはもとより、Aの稼ぎ高は前記情交による対価に至るまで一切を八郎から入手していたので、十八歳未満の児童であるAが芸妓として客席に侍るばかりか客との情交関係もあることを熟知していたことを認められ、彼此綜合すれば、被告人は芸妓下宿業の名の下に芸妓置屋業を営む株式会社大和の経営の枢機に参画しており、Aが十八歳未満の少女であることを知りつゝ、Bに十万円を借しておけばAが将来芸妓として収益を挙げるに至るべく、更に進んでは客との情交をも厭わず、大和支店経営が一層容易となることを期待し前記十万円を貸与したものであり、Aが被告人の期待に背かず自発的に芸妓となることを申出たのを利用し同人を芸妓見習として客席に出し客と情交を結ぶに至つたのも、すべて被告人の画策どおり事が進展したものに外ならないのであり、仮にAがいかに芸妓たることを熱望していたからとて被告人が積極的にその手段を講じなければ芸妓として旅館に出入りすることも出きなかつたものであり、従つてAが芸妓となり客と情交したこと自体がAの意思に反したものとはいえなくても被告人が児童たるAに淫行をさせる行為を為したものと断じなければならない。Aが肉体的に発育もよく、その経歴上早熟で性的知識が絶無でなかつたとしても右認定を覆えすことはできないのである。又芸妓が一個の職業たる所以は客席に侍し芸事を提供することにより座興を添え酒間を斡旋するに在り、決して客の性慾の対象として取扱われているわけではないが、現実に於ては芸妓が客に売淫行為を為す忌むべき風習の存することは否定し難いところであると共に、Aが芸妓として客席に出るに至つた事情が前記のとおりであるから、芸妓置屋業を営む株式会社知大和の取締役たる被告人がAの売淫行為に全然関知しないものとすることはできない。原審証人高沢はま、扇野喜美子、福沢くらの証言中所論の引用する如く原判示と矛盾する部分は原審の採用しなかつたものと認められ所論は結局原審の適法な証拠の取捨を論難するに過ぎない。原判決が叙上と同一趣旨の判示を為し被告人の所為を児童福祉法違反に問擬したのは正当で、記録を精査しても原審の右認定が事実の誤認に出たものなることを疑わしめる点はない。論旨はそれ故その理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 近藤隆蔵 判事 尾後貫荘太郎 判事 山岸薫一)

弁護人久保田由五郎の控訴趣意

第一点被告人が判示期間に前後数回にわたり判示場所に於てAをして鈴木松雄外数名と対価を得て情交せしめ以て児童に淫行させる行為を為したと認定したのは事実の誤認に基くものであるから原判決は到底破棄を免れない。原判決の判示事実は起訴上起載と同一であつて莫然たる処がある。即ち観光閣旅館等に於てとあり「等」とは如何なる場所か判らない又鈴木松雄外数名とあり「数名」とは何人を指すか不明確である従つて判示事実としては適切ではない。刑事訴訟法第二百五十六条によれば公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには出来る限り日時、場所及方法を以て罪となるべき事実を特定しなければならないとある点より見ても起訴状記載の公訴事実は不明確で其の起訴状と同一の判示事実も不明瞭であるから審理不尽の謗を免れないのである。

一、Aは特飲店を業とするB方に養女として貰われ育てられた。B方は特飲店を経営して居り普通に之を云えば所謂パンパン屋であるが四十年前から特飲店を経営し来たがAを五歳の頃養女として貰受け昭和二十六年三月同女をして中学校を卒業させたがAは学校に居るときから芸事が好きで昭和二十七年十月頃より芸者になりたいと云つたがBはそんなことをしてはいけないと云つてもAはどうしても芸者になりたいと申すので其の見習にやつたこと並に其の見習にやる迄Bの特飲店の実状を知りながら育つたことはBに対する警察官の供述調書によつて認むることが出来る。

二、Aは早熟で小学校四年の時に処女を失つた。右はAに対する警察官の供述調書1、私が小学校四年生の頃で戦争中でしたが夏スカートで居る頃近所の雑貨商をして居る岩崎助雄六十歳位の小父さんが私を呼びますのでついて行くと家に上げお昼頃でしたが室に倒してズロースを脱がせていたづらされたのですその頃の事ですから何をされたか知りませんがその事があつてからは私はもう処女ではないと思つていた養父の苦しんで居るのを毎日見ているとお金さえ稼げれば家で雇つている酌婦の様に身体を売つてもよいと思つて居りました(記録三四三丁)2、私も芸者にならうと決心したのですが近所にお友達も居るので芸者になつたことを知れると恥しいので何処か芸者で遠い処へ行つてやるなら良いと考へ養父に相談しました。(記録三四四丁)、証人高沢はまの証言 Aは年令の割合に案外大人つぽい処がありました。Aは色々な男があつたと聞いて居ります。証人福沢くら子の証言 Aが大和に居るとき煙草を喫つて居つたり寝て本を読む恰好が男を知つて居る様な恰好であつたから私は黙つて見て居ることが出来なかつたお前は其の様な恰好をして居るが男でも知つて居るかと聞いた処関係があつたと申しました。によつて明かに認むることが出来得る斯様にAは早熟な子で男との関係を欲していたのである。

三、大和株式会社の実状は高沢はまが此の経営に当り被告人は殆んど関係しない。大和株式会社は芸妓下宿業が目的で其の本店は東筑摩郡本郷村大字浅間にあり支店は熱海市錦町にある社長は高沢はまで被告人は取締役であるが其の営業には殆んどタツチせず高沢はまが運営して居る熱海支店には二ケ月位置きに一回、仮令一回行つたとしても二、三日位で帰つて只だ保養に行く程度で熱海に居つても麻雀ばかり遣り夜遅く迄遊び或は温泉につかつたりして静養して居り熱海支店の会計は八郎に一切委せて置つたことは、1、証人福沢くら子の証言高沢さんは酒が好きでありますし麻雀をやつて遊んだりして別に仕事はいたしません。2、証人扇野喜美子の証言 とうさん(高沢五兵衛)は熱海へ来ても別に何もせず麻雀をやる為に遊び歩いて居つて支店に居ることは余りありません。3、被告本人の供述 大和の仕事は妻のはまが一切の仕事をやつて居ります。私は殆んど会社の仕事に関係しません。熱海支店の会計は八郎がやつて居り同人が一切の仕事をいたして居ります。私は支店に居つても本店に居つても営業には関係せず支店に居つても毎日酒を飲んだり麻雀をやつて遊んで居ります。によつて明かである。

四、Aに対し貸付けたのでなく金拾万円はBに貸付けたもので前借ではない。被告人が昭和二十七年十月二十九日金拾万円を貸付けるに至つた事情については、証人高沢はまの証言 大島新亮より大島の知り合でBと云ふ人が貧困で暮しに困り居るから家財道具を抵当として金を借りたいと云ふから都合してくれないかと云はれその時大島がBの子供で家が困るから芸者になりたいと云ふ子がある其の子を使つてくれないかと云ふことであります。B方は金に困り特殊飲食店の経営も出来ないしBの妻は病気で七年も寝て居り税金の支払も出来ないと云ふことを聞きそれに同情し出来るだけ金を貸してやつてよいと相談したのです。A本人がどうしても使つてくれと云つて居りましたので満十八歳になる迄芸妓見習として使ふことに話が定りました。B方では営業を始めた其の日から必らず返金すると云ふことでした。Bは年寄りでもあるから万一間違があつた時はAが返済すると云ふことでした。Aは自分から進んで芸者になり度いと云ふ話でした。今は見習であるから一人前の芸者になつたならば何処で働いても必らず返金すると申して居りました。証人大島新亮の証言 Bが返済すると云ふことであります。だが若しBが返済することが出来ない時はAが働いて返済すると云ふことでした。Bが金を受取りました。私はAが芸を習つて芸者になりたいと考えて居つたのだと思いました。証人Bの証言 私は担保にして貰ふ様に話しました処高沢さんはそんなことをすると経費がかゝるから左様に致さなくともよいと申されました。借用人は私で現金は私が受取りましたのである。証人Aの証言 私が芸者にどうしてもなると申しましたので養父は仕方なく周旋屋を依頼してくれたのであります。芸者の見習の為に熱海に行き直ぐ踊りを見習い又大和支店で使い走りをたまに致しました。昭和二十八年証第三十四号の四は私が其の気持を書きました。の各証言によつて金拾万円はBに貸したもので金も同人に渡し只だ返済が出来ない場合にAが支払ふことで所謂前借ではないのである。前借金と云ふことは金で身体を拘束する即ち芸妓として働き一定の年限を縛り其の抱主方で働くことを意味する条件がなければならない。本件の貸金については左様なことはないのである。其の貸借証書によつて見るもAは何も拘束を受けない事実は借主BであつてAは保証人に過ぎないことが明かである。

五、被告人がAを御座敷に出したことは全くない。右については証人高沢はまの証言 問 証人は五郎や八郎に対しAは子供で、見習であるから客席に出さない様に注意したか 答 はい注意してありました。私は昭和二十八年一月支店に行つたとき座敷に出ない様に止めて置きました。証人福沢くら子の証言 私共はAを座敷に出してはいけないと大和のかあさん(高沢はま)に止められて居りましたからAに対し止めたことがありました。問 証人は高沢五兵衛からAが座敷に出る様に話をしてくれと頼まれたことはないか、答 ありません、証人扇野喜美子の証言 証人は大和のかあさん(高沢はま)からAは見習であるから座敷へ出てはいけないと云われていた。被告本人の当公廷(原審)に於ける供述の結果によつて之を認むることが出来る之を換言すれば被告人はAを芸妓見習の為に熱海支店に置いたことがあるがAを座敷に出したことは全くない。

六、被告人はAを連れて二、三軒の旅館検番に行つたことはあるがおひろめをしたことはない。芸妓が御披露目をすると云ふことは芸妓によつて異なるが熱海市では普通検番、旅館、料理屋、芸妓組合等約二、三百軒位行き各戸に過るのが通例である高沢氏がAを連れて行つたのはAが芸妓見習として検番等に使ひさせることがあるので夫れには顔丈位知つて貰つて置く必要があるので又被告人も熱海支店に行つても検番等に挨拶に行つたこともなく又組合の会合に出席したこともなく不義理をして居る為にAと共に検番外二、三箇所に挨拶に行つたに過ぎないのでおひろめではないことは証人福沢くらの証言に扇野喜美子の証言並に被告人訊問の結果によつて認められる。Aは之を以ておひろめだと云ふが夫れは同女の感違である。全くAの顔見せの程度で使ひ走りするに顔丈け知つて貰ふ為であつた。

七、大和株式会社の熱海支店は芸妓下宿であつて特飲店ではない。俗に特飲店のことをパンパン屋というが其のパンパン屋は御客をとつて淫行させることが目的であるが之に反して芸妓は踊りとか、三味線とか芸道を学び行儀作法を見習ひたる上一人前の芸妓となつて芸道を守つて御座敷に出るのが目的である。芸妓とパンパン屋とは区別せられて居ることは言を俟たない。熱海支店が芸妓下宿業であることは本件記録に徴して明かである。

八、Aが座敷に出て客と関係したことがあつたとしても夫れはAが好きで客と泊つたので被告人は之には全く関係がない。証人Aの証言 私が十二月六日自分から進んでやつたのです何人にも云われた訳けではない。泊ることについては別に云われたことはない。自分が好きで客と泊つたのです。被告人訊問の結果によつて極めて明白である。

九、被告人は対価を得たことはない。被告人が営業に殆んど関係しないことは之迄に屡々述べた通りであるが熱海支店の会計は八郎が一切やつて居り被告人は関係しないが昭和二十八年一月下旬か同年二月初旬に金九万円を受取つたことはあるが夫れは八郎に対する金五万円の貸金の返還と芸妓下宿代金四万円合計金九万円を受取つたに過ぎない此の中にAの金が一銭たりともないことは明白である扇野喜美子の証言並被告本人の訊問の結果によつて認むることが出来る。併し被告人に対しAは金を渡したこともあると云ふがAの云ふことは前掲証言に比して之を措信することが出来ない。

以上一乃至九を綜合して見ると被告人はAをして座敷に出し客と淫行せしめたことはなくAの泊つたり或は座敷に出たことについては全く関係のないことが優に之を認むることが出来る。然るに原判決が判示の如く認定したのは事実の誤認のいちじるしいものと云はなければならない此の誤認が判決に影響を及ぼすこと明かであるから原判決は到底失当たるを免れない。更に進んで被告人が判示期間に判示旅館等に於てAをして鈴木松雄外数名と対価を得て情交せしめたかにつき検討を加へて見たい。此の点についても判示事実は不明であるから想定して陳述する。

(一) 昭和二十七年十二月六日の観光閣の問題(鈴木松雄との関係)については被告人の不在中Aは進んで客と泊つたので此の事には被告人は全く関係がない。此の点につき被告本人訊問の結果と証人Aの証言と相反して居るが何れを信用し得べきかと云ふに証人Aは第二回の証人として昭和二十八年十二月十日原審公判廷に出頭したるが其の際Aは検察官の取調に対し前回述べたことは相違ないかと云う問に対しアヤフヤのところがあると答へ今はよく記憶していないと云つて居り何を聞いても判然しない。記憶がないと云つて居る。併し事実のことであれば半年位経ても覚えて居る筈で、記憶がないと云ふことは第一回の証言にも嘘があることを意味する。Aの第一回の証言は警察官のデツチ上げの事件であるから警察官のAに対する誘導的訊問が手伝つて第一回の証言を為すに至つたものと思料し得べきものであるからAの証言を信用することが出来ない。之と反対に高沢五兵衛氏の供述は筋道が通つて之を裏書する証人があるのみならず本件記録全体から見て高沢氏の云ふことは措信するに足る。尚Aの証言につき虚偽の点があることは次の証言等によつて明かである。

1、証人福沢くら子の証言 私はAは正直でないと思います。夫れはAがけいこに行くと云つて出て行き、けいこもせず映画を見に行き、帰つて来てけいこに行つて来た様な顔をして居つたことも度々ありましたから私はAは正直ではない。2、証人扇野喜美子の証言 Aは正直ではない、何の話もないのに姉さんが遊びに行つてもよろしいと云つたなどと嘘を云つて出歩いて居りました正直者ではない。3、被告本人訊問の結果 Aは出鱈目でも云い兼ねない子です。私共が使い走りに行つて来る様に云ふと行かないのに行つて来たとか又けいこに行くと云つて映画を見て帰つて来たことが度々ありました。問 Aはロがうまいか。答 其の様な傾向がありました。尚Aをチヨン子とつけたのは同人に一寸御転婆のところがあつたから其のニツクネームであつて芸名ではない。昭和二十七年十二月四日観光閣からAを名指で「泊る」と云ふことを云つて来たと云ふが此のこと自体が怪しい。凡そ芸妓は名指で来ることはあるが「泊る」と云ふこと迄来ることは殆んどないのが常識である。花柳界の実状は御座敷がかゝつても「泊る」と云ふ事迄而かも二日前に来ることは到底考へられない。此れ自体作りごととも云い得るのである。何でも泊ると云へば事件になると見てデツチ上げの事件で誘導的に吹き込まれた為にAが心にもない証言となつたものである。其の心にもない証言とは、お前は未だ年がゆかないからいけないと申しましたが私は強引に頼んだ処とうさんがその位の気持なら座敷へ出てもよいと申しました。十二月四日頃だつたと思います十二月六日に観光閣へ来てくれと私の名指で電話が来たのです。私は五郎から男と関係するのは初めてかと聞かれましたとうさんは自分で云いづらいから五郎姉さんに頼んで云わせたと思います。の様であるが此のこと自体殊に一番終りの方の如きは勝手な想像である。右証言の信用の出来ないことは前述の通りで証人福沢くら子の証言並に証人扇野喜美子の証言に徴しても又第二回の証人Aの証言がアヤフヤな処があると自認している点から見てAの証言は信用が出来ない。Aの証言にも前記の通り十二月六日は自分が進んでやつたのです何人にも云われたのではない。泊ることにつき別に云われたことはない自分が好きで客と泊つたのですと云つて居る証言につき考へるに此の証言は真実の証言で被告人に関係なく自分勝手に座敷に出て泊つたもので被告人は之を全く知らない何んとなれば十二月六日高沢五兵衛氏は熱海には居らない其の前日浅間に帰つて居ることは証人Aも之を認めている従つて十二月六日Aが客と観光閣に於て泊つたことは被告人の全く知らないことである。

而してAの云ふが如く自分が好きで何人にも云われないで座敷に出て客をとつたことは証人高沢はまの証言、証人福沢くら子の証言、被告人訊問の結果によつて認められる。

然れば被告人が十二月六日の観光閣の問題につき関係のないことは極めて明白であると云ふことが出来る。

(二) 昭和二十八年一月五日又は同年一月八日の第一ホテルの件についても被告人は全く関係がない(一月五日でなく一月八日である)。被告人は昭和二十七年十二月三十日頃熱海支店に行つたがAは昭和二十八年一月二日同支店に着物を取りに行つたのであるが被告人は同年一月四日熱海市を出発し同夜新宿駅午後十時頃の夜行準急にて同月五日朝浅間の本店に帰つたことは明白であるから一月五日には熱海支店には居らない。況んや一月八日には被告人は熱海には不在である。併し乍らAが第一ホテルに行つたのは一月五日か或は一月八日か何れが本当かにつき記録について見るに証人Aの原審第一回公判廷に於て一月五日と述べて居り第二回公判廷に於て夫れはアヤフヤで記憶がないと述べて居りA自体が記憶がないから分らないと云つて居る。Aに対する矢口刑事の供述調書第一三項によれば第一ホテルは一月八日と思いますがと云つて居り第二回の供述調書第四項には一月八日と云つて居るから此の日時については一月八日が正しい。一月五日であつたとしても一月八日であつたとしても何れも被告人が熱海支店に居らないことは明かであるから一月八日に第一ホテルにAが泊つたことは全く知らないのである。而してA自身が好きで客と泊つたのである。

昭和二十八年一月四日に夜行で帰つたことは証人山田恵司の証言 私はトヨダ自動車株式会社の常務取締役で昭和二十八年一月二日の午後三時前後遊びに行つた処高沢五兵衛氏は居りました。其の際Aも居つたが其の時に聞いて名前を知る様になつた。一泊して一月三日東京に行き其の夜は東京に一泊し四日夜行新宿駅発準急にて一月五日松本に帰つた。而して一月四日夜行にて帰る際高沢五兵衛氏とは新宿で一緒になり一月五日新年会に出席すべく五日早朝松本に帰つた。而して被告人が一月五日には熱海に不在であるに拘らず証人Aの証言によると一月五日第一ホテルに泊り翌朝ハイヤーで帰つた際細い金がないのでとうさんを起して支払つて貰いました私の帰つて来たことを知つていたと述べて居つたが第二回目の証人の証言によれば此の点はアヤフヤでよく覚えていないと云い高沢五兵衛氏も不在であることは前記の通りであるから高沢氏が自動車賃を支払つてやつたと云ふことは到底考へられない之もAの出鱈目の証言であること前述の通りであつて之を信ずるに足りない。之を換言すれば第一ホテルの件につき被告人は全く関係がないのである。

(三) 昭和二十八年一月十日、一月十五日、一月二十二日にAが泊つたと云ふが被告人は全く関係がない。Aは第二回警察官の供述調書に泊つたと云ふが被告人は当時熱海支店には居らないからAの行動は全く知らないのである。仮令泊つたことがあつたとしてもAが自ら好んで泊つたもので被告人の関知しないことは被告人の訊問の結果によつて認められる。

(四) 昭和二十八年一月二十八日宝金荘に泊つたと云ふ件についても被告人は全く関係がない。当時被告人熱海支店には不在であつてAの行動については全く知らないのであることは前同様である。

(五) 昭和二十八年二月十四日二月十五日のも被告人は全く知らないのである。此の点についても前同様被告人は全く関係しないことは明白である。以上の通りであるに拘らず原判決が被告人に対し有罪の判決を為したのは失当である。被告人の業務と同様に経営する人達も有罪判決には驚いて居るのである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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